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第69回体験発表

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チョコレートムース
クレープノルマンド

体験発表者

28歳 女性 無職
境界性人格障

体験発表

15歳まで田舎で健康にすくすく育ちましたが、高校入学のときに上京。ホームシックに掛かり、1ヶ月程お休みしました。16歳の時、男性と交際してから自分を大切にしなくなりました。19歳の時、悪いスカウトに遭い、勢いで水商売にデビュー。心が崩壊して行きました。短大は出席が足りず留年し、3年通いました。

卒業後、介護士を目指すも親に反対され、一般事務、和菓子屋などやってみるもののどれも長続きせず。水商売を転々とし、ちやほやされる癖がつきました。しかし、いくら稼いでも満たされずストレスになり、ホスト通いしてますます姫扱いが身につき、お金があっという間に散っていきました。堕ちる感覚がもう心地よかった。
そしていよいよ楽しい居酒屋時代の始まり。東京郊外の居酒屋のお仕事がしっくりきました。常連さんも多く、仲の良いお友達もできて、みんなに認められたい一心で必死に働きました。はじめてお仕事にやり甲斐を感じた日々。離れても変わらない安心感、そんな仲間ができました。19歳から続けていた不倫も、仲間とバカやってると淋しさも紛れました。仕事中にパニックを起こしても、仲間は変わらず支えてくれました。

そんな楽しいがいつまでも続いて欲しいと願うも、楽しい日々はついに終わり。今から1年前に、仲間と離れ、離婚してくれた彼の元へ行きました。小学4年生の女の子付きで、努力してもうまくいかず、5ヶ月で限界でした。
突発的に起こる自傷行為、お薬とお酒の乱用。日に日に精神が消耗して行きました。記憶にない時間を過ごし、時におまわりさんや救急車のお世話になりました。そんな矢先、警察署に保護され地元に帰りました。地元の生活でも良くなる事なく、環境にも恵まれず、家族の目を盗んではお薬とお酒の乱用、自傷行為の繰り返しで、2回病院送りに。
そして、地元の先生の紹介で、三島森田病院と内山先生との運命的な出逢いとなりました。

初診から3日目に入院。恐かった。完全な閉鎖病棟!今まで見た事のない世界に放り出されました。徘徊している人、怒鳴っている人、つぶやいている人、笑っている人・・・こんな所でやっていけるの?不安だらけで・・・。
でも日に日に周囲の温かさに触れ、次第に心が開ける様になって行きました。陽の当たる場所で、お茶を飲みながらお喋りしたり、時にお菓子の食べ過ぎで怒られたり。看護師さんもヘルパーさんもみんな明るく楽しく心地良く、安心して過ごせました。
たまに淋しくなったり泣いちゃう時もあったけど、思えばあっという間の3週間。できる事ならもう一度閉鎖病棟で過ごしたいです。

そして遂に森田!嫌々森田、無理矢理森田。やらずして、退院させて貰えない森田。泣く泣く同意しました。「あっ!!」という間にお引越しされ、暗くて寒い病棟へ。何ここ・・・それが森田。
本音は嫌で嫌で。忘れもしない金魚の水槽前、「淋しい」涙目の私に、閉鎖病棟の時の担当だった看護師さんは、ひとつ頷くと黙ってその場を去っていきました。見放された訳じゃない。看護師さんの優しさだ。私は先に進まなきゃいけないんだ。涙が出たけど前を向こう。負けちゃいけない。
自分の事は自分でやるよう言われ、病人扱いを感じませんでした。社会復帰の為の森田。まずは軽作業の草取りからだ。

作業中も自分の痛い過去を思い出しては落ち込んでたけど、日に日に畑仕事に必死になるにつれ、時間は早く過ぎ、思い出したくない事も気にならなくなってました。指導員さんに言われた通り、野菜が育ちやすい土を作り、うね作りに種まき、鳥よけを作り、水やり、追肥。先輩の患者さんも野菜達に「偉いね、かわいいね」と声を掛けながら大切に育てていました。
自分の蒔いた種が小さな芽を出すと、どんな雨や風にも負けずに力強く育って行くのが愛らしくて。最初はつらい事から逃げるように悲しい事を忘れたくてやっていた作業も、気分の良い日も乗り気になれない日も、そのうち日曜や雨で畑に行けない日でも、気になって自ら見に行くようになりました。毎日規則正しく作業に打ち込む事が、今まで何をやっても長続きしなかった私にとって新しい発見、良い励みになりました。

人間関係にも恵まれました。変わり者で決して普通ではない私に、時に厳しく時に優しく接してくれた森田の皆さんにも深く感謝します。
一度、外出してお酒を飲んでへべれけになって病院に戻ったことがありました。同僚の患者さんをひどく傷つけてしまい、お酒を飲んだ事をここまで後悔した事はありません。信用を取り戻そうと、内山先生に言われた通り、リーダーのお仕事や作業を頑張りました。やれば自信になり、絆もつながります。
いつか内山先生に、「当初はあなたに森田は無理だろうと言う人もいましたけれど、森田に入れて良かったです」と言われた事があります。私も、最初は暗い気持ちでいつまで続くのか不安でしたが、先生を信じて良かったです。

今、病気が治ったとか、症状が良くなったとは思いません。またいつ、突発的に何かのきっかけで繰り返すかわかりません。でも、内山先生と出逢い、閉鎖病棟での入院や森田療法を通して学んだ耐えるという事、不自由な中でも乗り越えるのができた事を今ここに書き残します。不安な時これを手にして、思いとどまる事ができたらと思います。
大切な大切な出逢いを、いつまでも忘れません。

講話

本当に入院生活、よくここまでもちましたね。どうなることかと思っていましたけれども、よく頑張ってくれましたね。この発表も非常に波乱万丈の今までの事情が赤裸々に述べられていて感動を覚えた人もいたことでしょう。今まで本当につらい思いをしてきたのですね。

さて、あなたの診断は境界性人格障害となります。Borderline Personality Disorder、略してBPDとも言います。
どういうものかというと、人格障害という名前でわかるように、性格の問題であるということです。どういう特徴があるかというと、DSM-Ⅳというアメリカの精神疾患の診断基準がありますが、そこで述べられているのが判り易いです。細かい文章は省略すると、

①見捨てられ不安 …一番重要です。人から見捨てられることに非常に不安を覚えて、見捨てられないように気が狂ったような努力をするものです。あなたにもあると思います。

②不安定な対人関係 …具体的に言えば理想化とこきおろし、つまりすばらしい人と言っていたのが些細なことで一転してとんでもない奴だと言い出すとか。私が先輩からBPDを教わった時には、その人間関係は「奴隷か敵か」と教わりました。要するにその人を完全に支配して奴隷のようにするか、でなければ敵対してしまうかという極端な人間関係です。さて、あなたにも理由があればありうることですが、この項目についてはあまりはっきりしませんね。

③曖昧な自己像 …自己同一性障害と言うか、要は人生の目標が見えないということです。これもあなたにありますね。

④衝動的な行為 …浪費(お金遣いが荒い)、性的逸脱(あまり好きでもない人と性的な関係を結んでしまう)、物質乱用(アルコールや覚醒剤、シンナー等の薬物)、無謀な運転などがあげられます。あなたにもピンクのドンペリ入れちゃったこととか多少浪費癖がありますね。

⑤自殺の素振り・自傷行為 …手首を切ったりすることです。これもあなたにありました。手首を切るというのは完全に命を絶ってしまう手段ではなく、一つは本当に死にたいというよりも死にたいということを周りの人に見てもらいたいということ、もう一つは今までのイライラ感や不安感から逃れたいために何でもいいからスッキリしたいということ、そういう目的で行うことが多いと言われています。

⑥不安定で気まぐれな気分 …あなたにも気まぐれという感じは見受けられますね。

⑦慢性的な空虚感 …虚しい感じ。これもあなたにありますね。

あなたの場合、だいたいほとんどあるといっても良いですね。DSM-Ⅳの診断基準では、上記の7つの内5つ以上あれば境界性人格障害となるわけですが、あなたの場合は②以外大体あてはまり、概ね典型的な例と言えましょう。ただ、後から説明しますけれども重症ではないと思います。重症ではないという点で森田療法が施行できるということにつながっていくのだと思います。重症ですと、究極的には奴隷か敵かというようなひねくれた人間になっていく場合があるわけですけど、あなたの場合は比較的素直で自己を反省する力があると思います。

この病気は古くは「境界例」と言われていて、何と何の境界なのかというと、統合失調症と神経症の中間ではないかと最初言われていたわけです。それはどういうことかというと、当初は外来では神経症のようで悩みを訴えるといういわゆるヒステリーのようだったのが、だんだん化けの皮が剥がれてくると、突然暴力的な行動とか奇異な行動をとるので、それなら統合失調症のようなものではないかと30~40年前は思われていたわけです。
しかし、統合失調症と違い暴れた後にケロリとして普通の行動をとることができることや、遺伝的な研究でもはっきり素因が証明されていないとか、様々なことから統合失調症とは全く違うものなのではないかとされたわけです。1980年代にDSM-Ⅲで境界例という病名がなくなって、境界性人格障害として人格障害の中に入れられることになり、病気というよりも性格の問題ということになりました。 

また、以上のいろいろな症状を考え合わせると、実はうつ病に結構近い症状だとも言えるかもしれません。でも、うつ病とはちょっと違います。それは何かと言うと、うつ病はもっと緩やかな気分の変化なのです。それに対してBPDは急激な変化で、一瞬で変わることもあります。それは特に対人関係に表われると言われており、些細な一言でガラッと変わってしまうことがあります。
緩やかというのは、うつ病の場合は大体1~3ヶ月という期間うつ状態が続きます。BPDの場合はうつのような気分があるかと思えば次の日にはケロッとしていたり、また次の日に何かのきっかけでうつのようになるということがあります。
うつ病の場合は、身体的といいますか、内因性と我々は呼んでいますが環境に関係なくリズムがあるわけです。もちろん環境にも関係があるのですが、常に身体的要素が非常に強い。例えば体重が減ってしまうとか睡眠が全然取れないとかいうことを基盤にしていることが多いのです。だからうつ病の場合は睡眠と食欲が取れるようになるだけでも大分状態が改善します。

それに比べてBPDの場合は環境的変化によって変わる、特に人間関係によることが多いのです。自分にとってつらい体験があると症状が変わるというのはうつ病も同じですけれども、BPDではつらい体験とは客観的に思えないような些細な事柄でも、ガラッと症状が変わるということがありうるのです。些細なことで変わるから、急激とも言えるわけですが、環境要素が強いということですね。そこから、瞬間をみてみるとうつ病のようですが、経過全体を見るとちょっと違うということが起こります。

BPDというものはどういう背景で生まれて来るのかといいますと、色々な原因があり得ると思います。一つだけ典型例を述べますと、

①家庭環境においてまず、厳格な親、

②そして何か親が注ぐ対象がある、例えば病弱な兄弟の存在とか。

こういった状況がある時におきやすいと言われています。そしてこのことから、幼少時の親の期待に応えようとする良い子である場合が多いと言われています。
あなたの場合も、厳格な親御さんがいて、兄弟はいなかったですが、ご両親は仕事が忙しいという環境でしたね。あなたは学校でも家でも親の期待に応える良い子でしたね。良い子に振舞うから、それで親は気にかけず、「この子は問題のない子だから大丈夫」というふうに思われてしまうことが多いです。
幼少時代はそれで良かったわけですが、思春期になりますと、周りの環境がどんどんストレスフルになってくる中で、今まで良い子でいたものが対応できなくなるという場合が結構あるのですね。もし、良い子でなく、例えばもっと甘えん坊で、親に頼って何とかやってもらう子供だったら、むしろ親から学習し勉強して成長していくことができるのですが、良い子であるがゆえに親に頼らないで一人でやろうとすると、だんだん無理になって破綻するわけですね。そして一挙に崩れるという場合が結構あります。

崩れてしまうと、手首を切ったりするBPDになる人もいますし、過食症みたいな摂食障害になる人もいますし、薬物依存になったりする人もいます。
これらが病気という感じですけれども、その他に非行、犯罪、あまり問題がなければ引きこもり、登校拒否という場合もあります。そういういろいろな結果となるわけですが、どれになるかは本人の一番弱い所がなってしまうということです。あなたの場合もこうしたことが大体当てはまっているようですね。

BPDの治療ですが一般的にはカウンセリングで行なわれることが多いです。カウンセリングにはいろんな手法がありますが、一番代表的なものは精神分析という手法です。最近では、デイケアや薬物療法も行われます。それから集団療法、うちでも森田の中で少し集団療法をやっています。しかし、もう少し治療的にしっかりした枠組みの中でやっているところもあるようでして、治療は多様化していると言えると思います。

カウンセリングや精神分析というのは、森田療法とは対極的な治療法ということが言えると思います。
他方、デイケアとか集団療法というのは森田療法のアプローチと近い部分があり、そこから森田療法というものがBPDの治療に有効だという可能性はあると思います。しかし、なかなか現実にはBPDに森田療法は行われることはごく少ないのが現状です。

それはなぜかと言うと、衝動行為や突発的行動が多いために、普通の病棟で生活していると大変なことになるわけです。あなたの場合も入院中にお酒を飲んだりとか、突発的に道路に飛び出したりとかいろいろあったわけで、あまり入院治療にはなじまないと思われることが多いですね。
ですが、中にはBPDに森田療法を行っている先生もいらっしゃいます。そういった先生のご意見によりますと、森田療法が可能な状況はどうかというと、

①生の欲望がしっかりしている

慢性的な空虚感や死にたい素振りがある中でも本来的には生きたいという前向きな気持ちがあるのかどうかということ。あなたには結構あると思いますね。もう「何がどうなってもいいや」ではなくて、幸せになりたいという気持ちがあることが重要と思いますね。

②気づき気づかう関係

治療者と患者間の関係が重視されています。患者さんとの信頼関係が保たれているような治療者でないとうまくいかないであろうと言われています。
精神分析でBPDを診ていく場合に、治療者・患者関係というものを重視しながら治していくということがよくあります。「治療者の行う治療など鼻から全然無視していて治療者そのものが関心なのだ」と言う先生もいます。あなたもそういうところがあるかもしれないですね。信頼関係があるかどうかが重要ということですね。これは普通の森田療法の時よりずっと必要なことです。
極端に言えば森田療法は医者がいなくても出来ると思います。作業があって、生活の場があれば出来ると私は思っています。もちろん治療者・患者間の信頼関係は通常の森田療法にとっても必要なことではありますが、BPDの場合は通常の場合よりもずっと重要であるということです。
私は患者同士の関係も重要と思っています。先輩の患者さんと後輩の患者さんが信頼関係を持てるかということが重要です。そういう信頼できる先輩患者さんがいるかいないか、というのは治療が上手くいくかどうかの非常に大きな要素となります。そういう意味ではあなたには信頼できる先輩がたまたまいたというのは幸運なことだと思いますね。

③共時共感的な場

表現が難しいですが、要は共に同じ釜の飯を食い、共に同じ時を過ごして同じ行動をして、その中で信頼関係が得られるということです。森田療法というのはもともとそういう素地があるものです。

森田療法がBPDに合うか合わないかということですが、導入の問題だと思っています。つまり、病棟の生活、ルールにちゃんと適応できるのかということです。全然適応できないような場合にはやっていけないし、適応が何とかできる場合にはそれなりに進歩が見込めるということではないでしょうか。そういう意味ではあなたの場合は、ギリギリなんとか適応できたというのか主治医が我慢したというのか、こらえてやっていたということで結果的には良かったと思っています。

さて、私が考えるには、BPDに対して森田療法の持つ意味というのは、

①充実した成功体験、すなわち何かを成し遂げて自分は役に立ったという経験:

東京郊外の居酒屋もそうでしたが、畑を作って、作物を作って、収穫して誰かに喜ばれるという実体験をすることが重要です。

②いろいろな人に世話になり感謝してまた反省する体験:

今日の発表の中にも閉鎖病棟の看護師さんにお世話になり助かったということがありましたし、それからお酒を飲んだとき同室の患者さんに対して凄く感謝し深く反省したとあります。そういうことの一つ一つがこれから社会生活を送っていく上での原動力になっていくのですね。

あなたの場合も、問題が起こりそうというのは最初からわかっていることでした。しかし、あなたはBPDの中では素直であり、生の欲望があって、頑張って取り組んできたことと思います。
しかし本人も言っていますように、退院した後これからが波乱万丈の可能性は多々あります。それでも居酒屋の経験と同じように、ここでなんとかやって耐え忍んだ経験が必ずや後になって役に立つと思います。何もなかったとしたら放り出すような状況になっても、ここで頑張ったことを思い出して、もうちょっと我慢してみようと思えることもあるのではないでしょうか。
そういう繰り返しの中で段々噴火が治まってくれればいいのではないかと思います。よく2ヶ月我慢してここまで来ました。これは本人がつらい思いをしながらも頑張ってきた賜物と思いますので、本当にご苦労様と言いたいですね。

ではもう一回皆さんから拍手を頂きたいと思います。

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